在宅勤務ライフ

食べて働く!

あの日とPiattoでランチ

3.11
あの日は金曜日だったと記憶している。
当時、お客様先である高輪のプロジェクトルームにいた。キャッシュディスペンサーのテストマシンが揺れと共に左右に動き始めた。青年がキャッシュディスペンサーを両手で押さえていた。
揺れが去った後、しばらく時間が経つとビルの外に人が大勢出ているのに気付く。電車が動いていない模様。
仕事中の私はまだ何が起こっているかは分かっていない。そのうち電車は動くと思い込んでいた。
やがて電車はいつ動くかわからないという情報が出てきた。世の中は概ねガラケー時代であり、職場のPCもお客様の開発環境でインターネット接続不可だったりと情報が入りづらいところがあった。
夜8時。職場を出た。帰らない方がいい、と言う話も噂で広がっていた。だがお客様先に居続けるのは施錠等の関係で難しいのではないかという憶測で帰宅する事にした。
高輪から東京駅方面へ向かって歩き始める。神奈川県方面に歩く人の方が圧倒的に多く、大混雑の道路を逆行する苦しさを味わう。おまけにその日は新調した革靴で、かかとの痛みも気になった。
ガラケーで電話しようにもつながらずは続いた。
「電車が動いたら乗ろう」とまだ思っており、都営浅草線沿い行くが地下鉄入り口はどこもシャッターが閉まっていた。
新橋〜日本橋あたりの飲み屋は開店しており、電車を諦めたサラリーマン群集でどこの飲み屋も大賑わいであった。
都心を過ぎて下町方面に向かうと歩く人が随分と少なくなってきた。だが途切れる事なく行列は続く。
見上げるような巨大建造物の脇を通る。暗闇にそびえる東京スカイツリーはまだ工事中だった。
とっくに日付が変わった頃、下町ゾーンに入ると周辺住民が歩く人にエールを送っていた。
それと共に「トイレ貸します」と手書きボードを持つ人や、チョコレートやキャンディを手渡してくれる人々も多くいた。
心が少し楽になる。が、同時に何か大変な事が起こっていると肌で感じた。道路沿いのホームセンターが深夜でも臨時営業中。こんな時に買い物?とは思ったがホームセンターから出て来る人々は多い。買ったスニーカーに履き替える人、買った自転車に乗り始める人。なるほど皆さんいろいろ考えている。
やがて地元ゾーン。避難所として開放されてる学校の体育館が目に止まったが、ここまできたらあと少し。
玄関のドアを開けるとネコから「おかえり」の歓迎を受ける。3時過ぎに自宅着。

教訓は無理して帰らない事は大事である。はたで見ても交通渋滞の酷さはマズいと感じた。



◾️本厚木 Piattoでランチ
またまたイタリアン。
スイーツ狙いですが、パスタも美味しい。

またボロネーゼ。美味しいからね。
ご馳走さまです!