在宅勤務ライフ

食べて働く!

音声に思うこと

ちまたで、音声のSNSの存在が話題になっている。

どうも話を聞いていると、みんなでリアルタイムでお話しできます、聞くだけもできます、ただしその日時にアクセスしてる場合のみ、後から聞く事はできません、と。

 

そういえば昭和はコテコテの電話社会だった事を思い出す。

その日、その時間に、電話のある場所にいる必要があった。仕事中で誰かと重要な会話をしているときも、かかってきた電話が何故か最優先された。内容的にぜんぜん優先じゃないのに。そして大量の時間が奪われた。聴こえてはいけない会話も聞かれたりした。

1990年代に電話に時間を奪われない方法が広がり始めた。メールである。

これは、メールをもらった人が自分の都合に合わせて、読んだり返信出来るという点で自分の時間の邪魔をされない非同期通信という画期的な手段だった。

これで長電話地獄の束縛から抜け出る事が出来たはずだ(その後大量メールという弊害もあったが)。

非同期通信は当たり前になった。

 

そうして今、リアルタイムの音声の新SNSって。。。

なんだか電話とほぼ同じっぽく感じてしまう、私古い人。

即時性?いや、「何時に集まりましょう」という時点で即時性ではないでしょう。

画面を見なくても(他に何かしながら)聞く事が出来るからいいのかな。

最近のSNSで「履歴が残らない」というのは1つのトレンドとしてはある。ストーリーズのような。そういう事かな。。

また文字では悪意たっぷりに読み取れることも、声だと全く悪意じゃない感じが受け取れて良いのかもしれないし、音声の方が伝わる事ももしかしたら多いのかもしれない。

人により文字より肉声の方が好みというのもあるのかな。

会話している間にアイデアが思いつく事もあるでしょう。

また、「なんだか誰かと話したい」時に「誰かいた」ら嬉しいとかそんな感じもあるでしょう。

 

いろいろなタイプのSNSはあってもよいと思うのは確かだ。自分に必要なSNSを使えばよい。

リアル音声の会話だったり、写真だったり、映像だったり。

 

悪用されない事を祈るのみ。

また、うっかり失言も要注意かなと感じる。

あとは、やたら話が長い人(しかもつまらない)がいたら地獄っぽい。

 

余計な話ではあるが、文章が伝わりにくいと感じる事がある。こんなやり取りを見てしまった時にそう思った。

Aさん 「そういう判断ができますね」

Bさん 「いつどこでそんな判決があったんですか?え?え?えー?」

という感じでバトルしてるのを見かけたわけです。遡って見てみると判断を判決と勝手に読み違えてずっと質問し続けるような状況。いやはや、なんとも。。。

文章を書くというのも難しいが、実は読んで理解するのも相当難しいのではないかと思うようになった。たとえどんなに簡単な文章でも。

 

コミュニケーションって、「何を話したらいいのかわからない」問題から「お互いにつたわらなくて揉める」問題など幅広くて難しいなぁ思う次第です。

もちろん私もコミュニケーション超苦手。

 

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